譲れないもの

予測不能

それは、約20年前のこと。長女がお腹にいると知ったのは、インドでのことでした。

それから長女はインドで生まれ、当時偶然にもお世話になった、助産師と鍼灸師の女性お二人から、当時真顔で言われたことがあります。

「信男君、

 とんでもないことってあるのよ。

 ほんとうに必要な時には、口座にいきなりお金が振り込まれることもあるの。

 たとえば、100万円あったら、どうしても叶えたかった夢が叶うとするでしょう?
 
 その夢が、今この世界が必要としていることだって神様も共感できることだとしたら、
 いきなり口座に必要な金額が、誰か知らない人から振り込まれることもあるのよ。

 そんな話し、私たちいっぱい知っているから。

 信男君にもそういうときがきたら、きっとそうなるから。」

今でこそ、クラウドファンディングだとか、願えば叶うだとか、そんな仕組みや書物がたくさんあって、そのうえちょっとした貢献ブーム、スピリチュアルブーム、ですから、「確かに」と思う人も多いでしょう。

しかし時は20年以上も前、そのうえ、その話しを聞いていた私には特段の夢はなく、さらに無職。ビジネスをしたいとか、お菓子を作りたいとか思っていたわけでもありません。ましてや、「そんないきなり(宛先を)間違ったお金が振り込まれたら、そのまま受け取ったらまずいだろう。」なんてことを思ったのを思い出します。

 

それから、もう20年。私の口座には、宛先を間違った振込は1円もなく、会社に間違って送金されてきたお金は滞りなく、銀行に連絡をとってお返ししてきました。信じていないから、そうならないだけなのか、そもそも、そんなことを望んでいないのかはわかりませんが、残念なことに、そういうわかりやすい「棚からぼた餅」には遭遇しませんでした。

むしろ、税務署がやってきて「この講師料、申告してませんよね。」と指摘され、いくらで請け負ったかすら覚えていない講師料の振り込みに加算税を払い、それからというもの、口座の写しの全行にどこからもらった何かを記録して、申告を続けています。

自分は投資に向いていると勘違いし、家1軒分を吹っ飛ばしたことも何度かあります。それからというもの、一切の金融投資はしなくなりました。あぶく銭は一切追わず、毎日、一生懸命働くことがいちばん良いことだと思い知ったのです。

これで、私のごく普通な人生の話しは終わり。

 

・・・なはずはないですよね。

 

確かに、私の口座には1円の過入金はなく、トイレ掃除をしたからといって、臨時収入もありません。お金の世界はそういうもので、願えば叶う、というような単純なものではないことがよくわかりました。

しかし、私のツキはここではなく、全く別の場所にあったのです。

 

考えてもみてください。ジェラテリアを開業してからまもなく、多くのお客様がやってきて「このジェラート、イタリアのあちこちでジェラート巡りをした味のどれよりもおいしい」と、昨年11月から勉強し始めたただのシロウトがいただくにはあまりある言葉をたくさんいただきました。

「乳なし、動物性なしのジェラートを日本で活気づけられるのは、中川さんの他を知りません。精一杯協力します。」と言っていただいたり、うちのジェラートで健康になったとか、救われたとか、涙なしには語れない話もたくさんいただきます。

そういえば、17年前、プレマ株式会社の前身であるプレマ事務所をスタートしたときもそうでした。インドから帰ってきてタクシーに乗り、1年半ほど、ガンの相談にのって高額の商品を売る生活に疲れてしまい、備長炭を売り始めたときにも、同じようなことを言われました。

そして、思うのです。

「あなた(プレマ)なしでは、今の自分はありませんでした。」と、お会いする方からお話しいただくとき、私は存在の全てをかけて、その人がよりその人としての人生を全うできるようにと祈ります。

正直にいえば、私が祈ったところで何が起きるわけでもありません。

ただ、いきなり振り込まれる100万円よりももっと価値あるものが、この世界にはごろごろ転がっているのです。

 

たとえば銀行さん、たとえば仕入先にとっては、プレマは安定したお金にしか見えないかもしれません。決して支払いは遅らせず、無理もいいません。それはそれでありがたいことですが、私たちでなくても、そのようなことが可能なところはたくさんあることでしょう。

何が「今の自分はありませんでした」と言われるほどの原因になっているのかは、お客様一人一人にとって全く違う体験です。ただ、私が自信をもっていえることは、お客様にとっての全てのプレマとの経験と交流が、最適でありよりよいものであることだけを考えているということです。

実際に品を届けるのはヤマト運輸のドライバーさんですし、課金をするのは課金業者さん、レジを打つのはプレマの誰かかもしれませんし、ときに券売機が対応してるだけかもしれません。それぞれに違う品をお渡しし、私たちの手を離れた瞬間に、それはお客様のうちにあり、厳密にいえば、私たちのコントロールを離れています。

スタッフの対応がそれにふさわしくないことも多々あるのを知っています。お客様の品の使い方が正しくないこともあるでしょう。いろいろな条件で、想定外のことが起き続けていて、それに右往左往することあります。私たちはできるだけ未来を予測しようとし、それに布石を敷こうとします。あらゆること、たとえば死においても終活と言う言葉が生まれたように、できるだけ衝撃なく、スムースに行われるようにと私たち日本人は心を砕いてきました。

私たちが財布を拾えば、必ず交番にもっていきます。携帯を拾えば持ち主を探す一方で、途上国に行けば、「神様からの恵みだ」といって、めどが立たなかった今夜の夕食に変わるのかもしれません。

口座にお金が振り込まれること、棚ぼたを期待することは間違っていません。次の食事に事欠く人にとっては、それはほんとうに天の恵みです。恵まれた日本人の価値観を一方的に素晴らしいもので、絶対的に正しいと思うのは少し早いのです。その経験が、受け手において何を意味するかに、正解はありませんし、この方法がベストであるなどというのは思い込みに過ぎないのです。国境を越えれば法律が違うように、私たちは常識的であり、予測可能であることを追い求め、そしてそうならないことを悔いて心を荒げるのです。

そこまで含めて、誤解を恐れず申し上げましょう。私たちのお届けする品、私たちが関与した何か、私たちが意識を向けた全てが、受け手にとって最適の経験であり、価値あること、価値あるものであることを真剣に念じ続けているのがプレマの本質です。

時として不愉快、時として思い通りでないことも含め、またそんな都合の良いことだけはあるわけはないということまで含めて、私はそう申し上げておきたいのです。

「あなた(プレマ)なしでは、今の自分はありませんでした。」

と言っていただこうが、もしくは耳に入ることがないとしても、私はそういう存在であり続けたいと思うのです。私がほんとうにツイている、100万円の誤振込以上の価値を感じ続けているのは、その言葉であり、また、その言葉がなくても、そうしようと思えていることそのものなのです。

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